FOSS4G2008 Tokyo終了

おかげさまで,FOSS4G2008 TOKYO,無事に終わりました。
個人的には,発表の最中にブルースクリーンに成ることなくて,一安心です(汗

OSGeo.JPの運営委員の一人としては,もうちょっと手伝えることがあったと思うので,来年に向けての反省事項にしたい。特にTokyoはFOSS4G2008 OSAKAと違って一から自前で作るので,そういう面でも,来年に向けて蓄積が必要だと思う。


んで,つらつらと思ったこと。

なんつーか,いい年になったなぁ,俺も,というか(汗
正直言うと,今でも学生っぽい気分で,色々やってるけど,実際の学生達と接すると,そうもいってられないなぁ,とw
それと,彼等と俺では,やっぱり常識が違う。
逆に言えば,俺にとってはオープンソースってのは,「特別」で「素晴らしい」ことなんだけど,彼等にとっては「当たり前」で「当然」のものなのかもしれない。
いや,今はまだそうではないのかもしれないが,これからきっとそうなっていくと思う。
だから,「もっとありがたがれ」とか言うんじゃなくて,そういう未来だから出来る何かがあると思う。
そんな未来を見てみたいと思っている。


それと,「ジオ」の先に何があるのかということが気になり始めた。
そもそも「Geography」とは,「Geo」の「graphy」(記述法)である。
これまではその記述方法は地図やら,測量やらだったわけだ。
恐らく,GISになったとしても,それはあくまで紙の「地図」の拡張でしかなかった。

しかし,今の「Geo」と呼ばれているものは,どうも「地図」の拡張ではないような気がする。
ツールがGPSやWebに変わったということは,もっと本質的な変化を内包しているのではないだろうか?

地図を作るということは,「世界」を記述することであり,「世界」をどの様に認識するかということだ。
そして,シュレディンガーの猫の例を出すまでもなく,観察が世界を変えるというのも今さらのことである。

そんなこんなのもろもろで。さて,ジオの先にはどんな世界が待っているのだろうか?
そんなことを考えたりするのであった。